鬼滅の刃35歳の少女

2020年12月12日

ニートに逆戻り

元々、進退はないと思っています。

昨日記しましたが、私めに母より『鬼滅の刃』が進呈されました。
母親まで同じことを言いました。「これを読んで男になりなさい」
先述しましたが、このブログのどこかで社会復帰にあたって啓示を受けたことを記しました。
ニール・ドナルド・ウォルシュの自伝映画の劇中、ホームレスに凋落し、離婚を繰り返したスピリチュアリストのニールに女性が告げました。「男になって」
没落した私の下を去っていた元カノもしかり。「魅力ある大人の男になって」

とうとう、母親まで同じことを言いました。
辛い過去がよぎります。
自分のことは鏡で見てもわかりません。
昔(?)の私は色白で線が細くてもやしっ子でした(今は違いますよ。鍛えてるもん)。小さい頃はオカマなどと讒言を受けた。父親でさえそう言った。
……くそったれ。
20~23歳の頃、髪を背骨まで伸ばした。伸ばした髪は縮毛矯正をかけてさらさらに。体重も絞った。髭を抜いた。性に対する絶望か、自らを女体化しようとした過去がありました。
理解できないが、振り返って思うのは自分が女になろうとしたというよりも、男であることを諦めた……という境地だったように思います。
思えば、あれです。
山岸涼子の「日出処の天子」……あれの聖徳太子。古文に傾倒した私の初の恋人の年上で人妻(❕)の女流作家は京都からの土産に「紅」をくれたり、寝物語に私の顔面に化粧とかしていた。
……屈辱だとは思わなかった。
男の私がスケープゴートされ、ユニセクシャルな私を飾り立てるその女性によって私はむしろ、受け入れられたとも感じたのかも。

「男になれ―」なんて発言はLGBTが謳われる今の世間ではなかなかグレーな失言です。狂言です。私はノンケですが、同性愛者の人たちの肩身の狭い境遇を些末ながら味わってきたように思います。

もう昔の私ではない。いつも最後にはフラれているが、それまでは女性を手籠めにしただろうが。
んがー、でも、まだ、男になれとかいわれなくてはならないのかと茫然とします。

ニールの映画には「野獣ではなく、男になって(性的な意味ではない)。むしろ、あなたはその解釈で女性を傷つけてきた」というセリフでした。
母も元カノも同じことを言い残した。

私は尽くしてきた。努めた。励んだ。続けてきた……
それでも、このざまなのです……。
私は鬼滅隊👹に入隊を試みんとするかの如くひたすらジムに励み始めたのも『鬼滅の刃』が無縁ではないでしょう。
で、チョット、調子をみようとして、とても軽いたったの60キロのベンチをちょいちょいとやってみたら、また、肩が痛み始めました。鈍痛激痛。
もうだめです。これはもうびょーいん🏥🏥へいくしかありません。接骨医です。下界の整形外科医には頼みません。なんとジムの真正面が他の接骨医なのです。
しかし、現在週末です。月曜日まで待たないといけません。其れまでにまた自分の気が変わるようなことがあってはいけません。
そして、私に告げられた啓示「男になれ」という言葉も私を駆り立てたのかもしれない。
「男らしく」だの「女らしく」だの言葉が性差別たる時代がようやく来て、少しは配慮がなされる時代の到来を予感したのに……。

一体、なんの話をしようとしていたのでしたっけ?

そう、仕事です。
今月の後半のシフトが判明しました。此度、語るはこれに尽きます。
12月下旬……ろくに仕事がありません。
12月後半のシフトが開示されました。休みばっかり! 31日間の間、勤務したのはたったの16日間。
月の給料、いくらよ!?薄給なんてレベルではないぞ。お金がないぞ。お金がない……また、卑屈になる。家に籠る=ニート。
くそ、おしまいだ……
休みがたくさんとか思って、安堵している私がいるだめな私だ。
これでは到底、自立になんて至らない。
自分は社会人になれない……なれていない。
私はニートだ……ニートなんだ。
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ikeniee at 16:00│Comments(0)

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